ダイイングメッセージ
初めての日記でも話をさせて貰ったが、この日記は「死ぬまでに感じたことなどを遺書がわりとして綴っていきたい」というコンセプトのもと始めたものだ。
ただ、これを書いている理由としてもうひとつあるのは「自分みたいになるな、考えたり協力があればもっといい未来がある」という気持ちを込めてやっている。
自分はもう手遅れだと判ってしまったからあとは死を待つのみだが、他のこれを見てる読者ならまだ可能性が残っている人もいるかも知れない。そういう人が人生をやり直せる事を願ってこの日記を書いてもいる。
毎日やらなくてもいい
先ず毎日自分のブログを読んでいる皆様、本当に有り難うと言いたい。
なんだかんだいって読んでいる人がいると言うのがこのブログを続けていられるモチベーションのひとつになっているのは間違いない。
ところで、毎日やるよりも少し感覚が空いてもいいから空いている日にブログをたくさん書いた方が読んでくれる人も増えるみたい。
不思議だ
自分の人生
自分の人生を振り返ってみると、納得のいかない過程が多過ぎてうんざりする。
避けること、または対応できる事が多かったのにそれを殆ど出来ずに終わってしまっていて本当に嫌だ。
しかし家族はそれを認めようとしない
もっとも自分の力があればもっと良い人生があったはずだが
夜の雰囲気
最近はやることが多くここに立ち寄ることを忘れてしまった。
この夜の雰囲気をどこか別の場所で過ごしたらどうなるのか?
可能ならヨーロッパへ行きたい
家族
とはどういうものだろうか?やっぱり常に居た方がいいのだろうか?
ちなみに自分の人生に照らしあわせて話をさせてもらうと、時々買い物にいったりするくらいなら問題は殆ど無かった。
でも家に居た時は正直苦痛でしょうがなかった。
躾はする、親の思い通りの状況を作ろうとする(逆らおうとすると途端に機嫌が悪くなったものだ)、しかし人生の相談については乗ってくれなかった。
子供は親の奴隷でもロボットでもない。自分にとって家族は本当はストレスの温床だったのかも知れない
思い返せば
最近ゲームをやって居なかった気がする
いや厳密に言うと携帯ゲームはそこそこやっていたのだが、ハードを使ったテレビゲームは随分とやっていない、、、
P◯4でも買おうかな?