ダイイングメッセージ

初めての日記でも話をさせて貰ったが、この日記は「死ぬまでに感じたことなどを遺書がわりとして綴っていきたい」というコンセプトのもと始めたものだ。

 

ただ、これを書いている理由としてもうひとつあるのは「自分みたいになるな、考えたり協力があればもっといい未来がある」という気持ちを込めてやっている。

 

自分はもう手遅れだと判ってしまったからあとは死を待つのみだが、他のこれを見てる読者ならまだ可能性が残っている人もいるかも知れない。そういう人が人生をやり直せる事を願ってこの日記を書いてもいる。

僕の過去

自分は正直自分の生きてきた人生の過程に全く満足していない

 

そのことでよく両親と喧嘩になったものだ。二人とも精神論者で「気持ちの問題だろ」とよく自分の人生の改善について話をした時に聞き流されたが、そのくせ自分が何で人生がこうなってしまったかを説明すると「あんたなんか生まなきゃ良かったよ」と切れられて終わりにするという流れだった。

 

なのに他人(自身の医者とカウンセラー)と話するときに限って「心配してるんです。先生、私達は全力であの子のサポートをしたいんです」

 

本当に家族というものに関しては憤りを隠せない。

 

 

生まれた環境次第で雑草も花を咲かせられるのかも知れない、そう思ってしまった。

毎日やらなくてもいい

先ず毎日自分のブログを読んでいる皆様、本当に有り難うと言いたい。

 

なんだかんだいって読んでいる人がいると言うのがこのブログを続けていられるモチベーションのひとつになっているのは間違いない。

 

 

ところで、毎日やるよりも少し感覚が空いてもいいから空いている日にブログをたくさん書いた方が読んでくれる人も増えるみたい。

 

不思議だ

 

 

自分の人生

自分の人生を振り返ってみると、納得のいかない過程が多過ぎてうんざりする。

 

避けること、または対応できる事が多かったのにそれを殆ど出来ずに終わってしまっていて本当に嫌だ。

 

しかし家族はそれを認めようとしない

 

もっとも自分の力があればもっと良い人生があったはずだが

家族

とはどういうものだろうか?やっぱり常に居た方がいいのだろうか?

 

ちなみに自分の人生に照らしあわせて話をさせてもらうと、時々買い物にいったりするくらいなら問題は殆ど無かった。

 

でも家に居た時は正直苦痛でしょうがなかった。

 

躾はする、親の思い通りの状況を作ろうとする(逆らおうとすると途端に機嫌が悪くなったものだ)、しかし人生の相談については乗ってくれなかった。

 

 

子供は親の奴隷でもロボットでもない。自分にとって家族は本当はストレスの温床だったのかも知れない